4.01.2012

Mavora workway(Te araroa)02


1月8日

マヴォラ・レイクから離れて、さらに奥へと進んでいく。車が入れない道ではあるけれども、4WDの車の跡が、次の小屋Boundary Hutまで続いていた。


Boundary Hutは小さな小屋で、ビジターブックを見るとネズミがいると書いてある。少し休んでいると、屋根裏をネズミが走る音が聴こえてくる。
小屋を出て道沿いに進んでいく。すると、歩いている道と地図が合わない事に気がついた。
正しいトレイルはどこだろうか?


そこで、今回の旅の為に用意した道具を使う。ニュージーランドに入る前に、GPSとして使えるようにアップルストアでニュージーランドの南島の地図を購入しておいたのだ。普段は電源を消費しないようにiPhoneを機内モード(全てのアプリケーションを落として機内モードにしておくと、電源消費がほぼゼロになる。)にしておく。必要な時に機内モードをOFFにすると、携帯の電波が入らない場所でも、GPSが起動して今いる場所を指し示してくれる。場所は100m...50m...と精度を高めてゆき、最終的に誤差5mまではっきりと自分のいる場所が分かる。地図には、山の等高線も山道も描かれてる。ただし、古い地図らしく、場所によっては、テ・アラロアの道や小屋は表示されていなかった。今回用意した道具の中で一番使えたのが、iPhoneとこの地図だったように思える。


 iPhoneで今いる場所を確かめると、歩いていた道とは違う場所に橋があるようだ。
道から外れて地図をたよりに探すと、小屋の近くに一人用の小さな吊り橋を見つける事が出来た。吊り橋を越えると....またもや道はなくなる。マヴォラ・リバー・トラックと同じく、所々胸元まで伸びた草原と湿地の中に、ここがトレイルである事を示す赤いポールが100m〜200m間隔ぐらいで刺してある。




湿地帯の歩きにくい原野を、ポールと地図をたよりに進んで行く。足下は草によって見えにくい。そして、ニュージーランドの日差しはとても強い。オークランドでお会いした松本さんから、「紫外線が日本より7倍も強いニュージーランドを1月も歩く事で山と道の道具がどのように耐えられるのかがとても気になります。」と伺っていた。外にあった洗濯バサミがすぐボロボロになったとも聞いている。足下のストレスと、日差しのストレス。当初は恥ずかしがって傘を日傘として使う事に抵抗のあったyumiも、あまりにも日差しの強さに、二人して傘をさして歩いた。僕が使っていた傘Swing Lite-Flex Umbrellaは、シルバーコーティングされていて、日差しを大幅にシャットアウトしてくれる。これだけでとても涼くなる。日影が少ない日本の稜線でも、日傘としても使える傘は有効的だと思う。風の強い場所では、ぐにゃぐにゃに曲がるので、雨を防ぐ事は出来なくなるが、折れる事は無かった。





誰もいない。時々牛の白骨と出くわす。日本の山とはまた違う荒々しさ。道無き広大な原野を歩いていく。心象風景を歩いているような...まるで物語の中に迷い込んだような気分。ロード・オブ・ザ・リングや、ウエスタン映画(明日に向かって撃てを思い出した。)を思い出す。








所々僕たちの道を遮るようにブッシュが広がっている。(上の写真にある緑色の部分)固く針のように尖ったブッシュをかき分けて歩くのはとてもつらい。ニュージーランドにはこのブッシュのような尖った植物が多くある。バックパックの耐久性を知るテストとしてはとても良い立地だったとも言える。



いきなり有刺鉄線が現れる。まさか有刺鉄線を越える事があるとは思わなかった。バックパックを柵の向こうに放り投げて越えていく。誰もいないような原野であるけれども、時々牛の家族に出会う。当初は迷い牛かと思っていたが、この広大な原野を牧場としても使っていると後から知った。牛が逃げないように管理しているのだろうか。




小川が山から流れているので、水に困る事は無かった。途中少し大きな川があったので、熱さを涼んだ。





コースタイムよりも多くの時間がかかった。遠くに目的地の小さな小屋を見つけた時(上の写真の遠くの山の下に小さな小屋を見つける事が出来た)はとてもうれしかった。


小屋の手前に川が流れていて、一人用の吊り橋を越えてTipo Hutにたどり着く。


 


Tipo Hutは、こじんまりとした小屋だった。吊り橋を越えた事でさらに異世界に入り込んでいく気分になる。この場所から感じる異境感は特別だった。


 小屋にはテ・アラロアのマップも張ってある。ビジターブックを読んでいても、ついついテ・アラロアを歩く人の記録を追ってしまう。
 食事の準備をはじめようとした所、大変な事にパンにカビが生えている事に気がついた。熱さのせいでカビが生えたのだろう。うかつだった。もっとハードなパンにするか(見た目はハードだったんだけど...)、個別包装されたパンを持っていくべきだった。メインの食材を失う事で、行程を見直さざるを終えなくなる。予想以上に疲れも感じていたし、コースタイムよりも遅れていたので、当初の計画を見直し、テ・アラロアの正式ルートを歩いてグリーンストーン・トラックを抜ける事に決める。


 夜には、誰もいないはずなのに、吊り橋を渡るような足音で目が覚めた。おそるおそる窓から外をヘッドライトで照らすと、ベランダにポッサムが来ていた。僕に気がついたみたいで、鳴き声を上げて威嚇する。月あかりが青白く山や原野を照らしてとてもきれいな夜だった。



1月9日






写真のような美しい湿地帯を歩いていく。足が沈まないよう気をつけながらも、踏み歩いてしまって良いものかと思う。歩く人も少ないから、自然に与えるインパクトと回復する自然とのバランスが取れているのだろうか...。



湿地帯に、草原、ブッシュ。写真で見ると優しい雰囲気を感じるが、実際に歩いて行くのは大変。途中からまた車の跡のような道を発見する。iPhoneの地図でもこの道を確認をする事が出来た。だが、テ・アラロアのポールはこの道を差してはいなかった。テ・アラロアは、あえて古くからある山道を通らず、厳しい原野や森を歩くようにしているようだ。僕たちは迷わず、テ・アラロアのポールに逆い、道沿いに進んでいく事にした。とても早く、気持ちよく歩ける。道は偉大だ。


 グリーンストーン・ハット


途中森の中で道を見失う。どうにか地図とマーカーをたよりに、テ・アラロアに復帰して、グリーンストーン・トラックに合流する。このトラックは、この先のグレートウォークの一つ、ルートバーン・トラックよりも緑がとても美しいと評判のトラックだ。




グリーンストーン・ハットは有名なトラックだけに立派で大きな小屋だった。ここで、グリーンストーン・トラックを抜けて、終点のグリーンストーン・カーパークに着いた後に、どうやって街へ戻るか情報を探ってみた。小屋に置いてあるファイルに山から街へのアクセス情報などが書かれていた。1日に一便定時のバスがあるようだが、今からでは出発時刻に間に合わない。小屋にいた地元のカップルに、ヒッチハイクについて聞いてみると、車も通らないのでヒッチハイクも難しいと言う。それでも山を降りて10km程歩けば、キンロックという場所にあるYHA(ユースホステル)に着く事が出来る。僕たちはグリーンストーン・カーパーク向けて歩いていく事にした。



グリーンストーントラックは、日本の上高地のような印象を受けた。川沿いの美しい森、山を歩く事が出来る。今のように林道が開発される前の上高地はこんな雰囲気だったではないかと思う。



終点のグリーンストーン・カーパークには車が10台程止まっていた。トイレがある以外には殺風景な場所だった。車がくる気配も無い。砂利道を歩き、湖との合流地点で車を待つ事にする。20分程待っていると、小屋で会ったカップルの車がやってくる。彼等は申し訳無さそうに、車は荷物でいっぱいなので、乗せられないと言う。確かに僕らが乗れるようなスペースは無かった。さよならを交わしているうちに、後ろからもう一台やってくる。ヒッチハイクのサインを出すと止まってくれるではないか。そして、僕らが向かおうとしていたYHAまで乗せてくれるという。予想以上に早くヒッチハイクが成功して本当にうれしかった。彼も本当に僕が通ってよかったね。と言っていた。ドイツ人の若い指揮者で、日本にも来た事があると言う。前に乗せてくれた人もそうだったが、乗せる前に、日本人と確かめた上で乗せてくれているようだ。長期の休暇でオーストラリアとニュージーランドを楽しんでいると話してくれた。車は古いマツダで、1000ドル(6~7万円程)で購入したと言っていた。帰るときに売って帰るらしく、いくらで売れるかを気にしていた。長期の滞在では車を買って、帰るときに売ってしまうのは良い手かもしれない。





キンロックのYHAは印象的だった。水色に輝く湖畔にレストランが併設されたYHAがあるだけ。立派なリゾートホテルだ。ホットスパもある。
 到着するなり、ビールで乾杯する。夕食は予約制だったらしく、食事も美味しそうだったけれども、予約をしていない僕たちは食事を取る事が出来なかった。ワインをボトルで購入して余った食材をラウンジで食べる事にした。



YHA(ユースホステル)は世界80カ国に4000カ所以上もある世界最大の宿泊施設ネットワークで、施設内には大きな共同キッチンと、ラウンジスペースがある。宿泊形態としては、相部屋か個室を選ぶ事が出来るが、シーツなどの交換は自分たちでする必要がある。宿泊値段も安く、なによりも、キッチンを使って気軽に自炊が出来る事と、一人での旅であれば、相部屋で一緒になった人と情報を交換したり、旅を共にする仲間を見つける事も出来る。若い人だけでなく、年齢差関係なくユースホステルを有効的に使っている人が多かった。部屋は狭くても、ラウンジの雰囲気がとても良かったりして、狭いホテルなんかよりも、自由に広く楽しめた。ニュージーランドにはこのYHAの他にBBHBackpacker Budget Hostel)というホステル・ネットワークがある。こちらは、個人経営のホステルの集合体で、数も多く安いが、個人経営だけに、良いホステルと悪いホステルの差が大きいようだ。その点、YHAは地方ごとに数は限られるが、きれいで、クオリティが高いと評判。僕たちはYHAをとても気に入りここでYHA会員(割引価格で宿泊出来る)になった。


今回のハイクを振り返ると、終盤に歩いたグリーンストーン・トラックは、評判通りの美しいトラックで歩き易くとても楽しいハイクを楽しむ事が出来た。それでも、歩き終えてみると、より心に染み込んで印象的だったのは、不思議な事に、誰もいない荒々しいマヴォラ・ウォーク・ウェイの原野だった。とても大変なハイクではあったけれども、心に染み込むハイクを終える事が出来た。